皆さんこんにちは、たびブロガーのmiyaです。
本日は、東京都千代田区にある「明治大学博物館」について紹介させていただきます。
博物館内は様々な種類の展示があります。
今回は、刑事部門について詳しく紹介していきます。
刑事部門では、江戸時代の法と刑罰について知ることができます。
また、拷問器具が展示されており、どのように使うのかが図として描かれていました。
拷問中の図を載せてしまうと閲覧注意になってしまうので今回は載せていません。
基本情報
住所 | 東京都千代田区神田駿河台1丁目1 明治大学駿河台キャンパス アカデミーコモン地階 |
営業時間 | 月~金:10:00~17:00 土:10:00~12:30 日、祝:休館 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
公式 HP | https://www.meiji.ac.jp/museum/ |
アクセス
電車
JR中央線、総武線「御茶ノ水駅」御茶ノ水橋口から徒歩6分
東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水駅」から徒歩8分
東京メトロ千代田線「新御茶ノ水」B1出口から徒歩8分
都営新宿線、三田線、東京メトロ半蔵門線「神保町駅」A5出口から徒歩10分
しっかり「明治大学博物館」と書かれています。
明治大学の敷地内ですが、一般の方でも入館可能です。
博物館は、地下にあります。
案内図
常設展示には、明治大学の歴史や学生、教職員などに関する資料が展示してあります。
その他にも下記のことについて見学できます。
商品部門として、陶磁器、漆器などの伝統工芸品。
刑事部門として、江戸時代の罪と罰について。
考古部門として、旧石器時代から古墳時代までの土器、埴輪、土偶など。
館内は写真撮影可ですが、フラッシュ撮影は禁止です。
館内の様子
明治大学のマスコットキャラクターでしょうか?
めいじろうがお出迎えしてくれます。
展示の趣旨
現在・未来の法と刑罰を考えるために、過去の法と刑罰を理解する必要があり、この博物館が設立されました。
そのため、法令や拷問の道具、刑罰の道具などが展示されています。
法学部では教育刑主義を唱えており、刑罰の目的は応報ではなく、犯罪者を改善し教育することにあるとしています。
日常生活で法と刑罰の歴史に触れる機会は少ないと思います。
「本展示によりその機会を提供し、法と刑罰を考えるきっかけになることを願っています」といったことが展示室に書かれていました。
捕者三道具(とりものみつどうぐ)
罪人を捕えるために使われた道具です。
刺又(さすまた):先端がU字形をしています
突棒(つくぼう):先端がT字形をしています
先端の様子
こりゃ痛そうです。
十手(じって)
罪人を捕えるための武器です。
敵の刀を防ぐための防御として使われたり、突いたり打ったりと攻撃としても使います。
時代劇で見ますね。
石抱拷具(いしだきごうぐ)
三角の木材を打ち付けたそろばん板に正座させ、両ひざに約50kgの重さの責め石を置きます。
度々行われたわけではありませんでした。
釣責拷具(つりぜめごうぐ)
両腕をねじ上げ、縄を回して背後で縛り、天井の鉄製の輪に通して宙づりにしました。
容易に行われるものではありませんでした。
牢問(ろうどい)と拷問
この2つは扱いが異なります。
牢問→牢屋内の吟味所で行われます。
拷問→牢屋内の拷問蔵で行われます。
江戸時代の呼び方では、石抱は”牢問”、釣責は”拷問”と呼ばれました。
拷問はイメージが付きますが、牢問は聞いたことすらありませんでした。
恥辱刑(ちじょくけい)
こちらは、「鉄の処女」と呼ばれる1932年に作られたレプリカです。
内部には複数の針があり、処刑や拷問の道具として考えられていた時期もありました。
しかし、元々は針を備え付けた構造ではなかったため、現在では恥辱刑の道具だったのではないかと考えられています。
恥辱刑として使われていたのならどうやって使っていたのでしょうか?
拷問器具としてだったら使い方がなんとなくわかります。
中に人を入れ、入口を閉めると針が刺さり「ギャァァァー!!」ってなることが想像できます。
恥辱刑とは?
道徳的規範を逸脱した者に、奇妙な格好をさせ、大勢の人の目にさらし辱めを与える刑です。
ギロチン
想像以上に大きくてビビってしまいました。
明治大学創立50周年記念刑事展覧会のために、1931年に国内で作成したものです。
入墨
主に盗みに対して科せられます。
地域によって入れ方が異なるので、どこで罪を犯したかがわかるようになっていました。
鋸引仕置の刑具
どういう刑なのか想像がつきにくかったです。
〇刑の中でも最も重い刑でした。
2日さらし、1日引廻しの上で磔(はりつけ)にしました。
江戸時代の刑罰は、さらしや引廻しによって一般の人に見せていました。
これにより犯罪を抑止し、権力の威光を示そうとしていました。
火罪木(かざいき)
火あぶりを行う火罪の刑具です。
放火犯にだけ適用される同害報復刑です。
絞罪柱(こうざいちゅう)
縄の先に鉄のおもりを下げ、踏み板を外します。
苦痛が著しかったため、問題が多かったようです。
苦痛を緩和するために1873年に改められ、階段のついた絞首台に変わりました。
おまけ
考古部門にある埴輪です。
はっきりと形が残っていますね。
まとめ
- 刑罰には様々な種類があり、どれも苦痛を伴うものだと感じた
- 江戸時代の刑罰は、一般の人に見せることで犯罪を抑制し、権力の威光を示そうとした
- 現在では、教育刑主義というものがあり、犯罪者を改善し教育することとしている
日常生活で法と刑罰の歴史に触れる機会は少ないと考えられます。
過去の法と刑罰を理解することで、現在と未来の法と刑罰を考えるきっかけになればいいなと思っています。
本記事をきっかけに、実際に明治大学博物館を訪問することで、さらに詳しく学んでもらえると幸いです。
刑事部門のみの所要時間は30分ほどです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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